Amsterdam x Tokyo

アムステルダム×東京
インスタレーション&パフォーマンス(2000年)

‘処罰のような演奏‘ – 『wire』、2001年4月号

コンセプト

「アムステルダム×東京」は、ありていに言えばピアノ・コンサートと名づけられるもの、そして詳しく言うならば事象における新しい空間のありかたを提示する実験としてのパフォーマンスである。

観客は空間に足を踏み入れると強い照明とスモークのなかでもやのような白っぽい空気に包まれ、そしてその間に数えきれないほどの赤いドットを発見する。近づいてみると、その赤は透明な袋に1匹ずつ入れられた金魚であることがわかる。
金魚は面白い生き物である。実際のところ、金魚は自然の産物ではなく、生物学的においても彼らは特に有効な働きをしない。彼らは人間の鑑賞物としてのみ作られたものである。金魚は生物という存在を思うままに操作したいという、人間のとりわけ暴力的な欲求が作り出した産物と呼べるだろう。しかしこれは、音楽を弾き、コンサートでその姿をみられるピアニストと何が違うのか?

ピアニストはこのパフォーマンスにおける金魚の隠喩である。ピアニストである向井山朋子は赤い衣装を身にまとう。
このインスタレーションはとても性的である、なぜならば金魚たちを見ていると壁に貼られた無数のグラビア・アイドルの姿を思ってしまうから、とある人は言う。自分たちの子どものころを思いおこさせるという人もいる。金魚は多くの子どもたちにとって最初のペットだった。金魚が死んだときにそれが彼にとって最初の死の体験だったことをその人は音楽を聴きながら再度思い出すことになる。

2世紀前、金魚はヨーロッパにおける「オリエンタリズム」や「エキゾティズム」を表すものとしてとらえられていた。いうまでもなく、いまわれわれは「生と死」が意味するものが当時と比べて異なる次元に移ってしまった時代に生きている。そしてまた今の時代においては、「エキゾティシズム」というものはグローバル・ネットワークの拡大によってもはや存在しないことを知っている。

このインスタレーションとパフォーマンスによって、観客はわれわれが生きている状況に向き合うことになるだろう。すなわちそれは、高度なテクノロジーの発達という名の新しい哲学が波のように押し寄せて、もう前には戻れない変化の段階である。そして、同時にいささか逆説的に、古い記憶や一人一人の個人の知覚によって獲得してきたすべての経験とともに生きていかなければならないことにも気づくはずだ。

曲目

ミッシェル・ヴァン・デ・ア「ジャスト・ビフォー」
メルツバウ、権代敦彦「黒ミサ」
野村誠「卵を持って家出する」
トュック・ニュ―マン「Fluweel(ビロード)」
田中カレン「テクノ・エチュード」

クレジット

コンセプト&インスタレーション:Digital PBX, 向井山朋子
ピアノ:向井山朋子
照明デザイン:Digital PBX

制作

De IJsbreker

協賛

プリンス・ベルナルド文化財団
オランダ舞台芸術財団
 モンドリアン財団
 ガウデムス財団
ローム財団
 アサヒビール芸術振興財団
新日鉄芸術財団
アムステルダム財団 日本400
日蘭国交2000年記念事業
日本航空
日本芸術文化振興基金
ヤクルト・ヨーロッパ