藤井明子

ピアニストによる作品の創造~向井山朋子の行方をめぐって
藤井明子(愛知芸術文化センター愛知県文化情報センター主任学芸員)

向井山朋子は、西洋クラシック音楽の延長線上にある現代音楽の作品を得意とするピアニストだが、それ以上に「変わった」ピアニストとして知られている。それは、彼女のコンサート、とりわけソロ・コンサートが、演奏空間やプログラム構成、衣裳などの点で通常とはかなり異なっているためである。具体的には、彼女は千匹もの金魚の泳ぐ空間でピアノを弾いたり、自分の髪や陰毛の映像を投影した空間で演奏したり、大胆に肌を露出させたボディコンシャスな衣裳や裸足で演奏したりする。
向井山は、武蔵野音楽大学、アメリカ・インディアナ大学、オランダ・スエーリンク音楽院で研鑽を積み、1991年に国際ガウデアムス演奏家コンクールで優勝した後、演奏活動を開始した。多数の音楽祭に招待されて新作の初演を行ったりオーケストラと共演するほか、MERZBOW(ノイズ・アーティスト)、伊藤キム(舞踊家)、デジタルPBX(建築家)、イアン・ケルクホフ(映像作家)など多数の異ジャンルのアーティストとのコラボレーションを重ねている。・・・という略歴を見る限り、現代のピアニストらしい経歴である。そんな彼女が、ソロ・コンサートではなぜ「変わった」形を試みるのか。私は機会あるたびに彼女にインタビューを重ね、その意図を探ってきた。その結果、極端に言えば、向井山の活動を、ピアニストではなく、「ピアノの弾ける美術作家」とでも考えたほうが理解できると思うようになった。実際、2007年5月現在、彼女は自分のウェブサイト(注1)上の略歴に「世界の舞台で活動を続ける一方、近年アーティストとしてインスタレーション作品を発表している」と表記している。私の知る限り、2006年春の時点ではこの表記はなかった。この1、2年間で彼女自身、活動の方向性がより明確になってきた結果、こうした表現に改めたのだ。
もちろんジャンルに囚われることなく活動するアーティストということでいうと、古くから数え切れないほど多いし、音楽と美術の境界領域で活動するアーティストも少なくない。水野みか子は、1990年代の日本の音楽界において、サウンドアートという広い概念で括られる動向があると指摘し、そこでは音楽と美術のジャンルに囚われることなく活動するアーティストと作品を多数挙げている〔水野みか子、2007〕。近年の向井山の変化の背後にもそうした動きがあることは間違いないが、ピアニストである彼女の音楽活動は演奏や作曲という従来からの音楽活動から離れ難いものであるし、彼女の変化はもっと別のところから生じているように思える。本稿では、向井山朋子というピアニストの2000年以降の活動の変化を取り上げ、現在彼女が立つ位置について考えることにより、これからのピアニストのあり方について考えてみたい。

コンサートを揺さぶる
「私は、舞台と客席が二つに分かれていて、演奏者がきれいなドレスを着て、歩いて出て、おじきして、椅子に座って、弾いて、おじきして、おわりましたというコンサートは、もうあまりしたくないのです。」〔2002年7月に開催した向井山朋子講演会「コンサートの可能性」での発言、『現代音楽家シリーズ3』2005、64頁に採録〕

 私は愛知芸術文化センターという芸術文化施設に在職し、音楽の自主企画事業に携わっている。その一企画として、向井山に自分の活動について語ってほしいと講演を依頼した際、彼女は講演タイトルを「コンサートの可能性」とし、このように語った。事実、彼女は常に「コンサート」に揺さぶりをかけてきた。「コンサート」とは、ひとことでいうなら、演奏者が観客に対し音楽の演奏を提供する場である。西洋においては十九世紀に、日本においては明治以降の西洋音楽の受容とともに確立し定着してきた形態である〔渡辺裕、1990〕。現在の最も一般的な形としては、会場は舞台と客席が分離したホールであり、客席より一段高い舞台上の演奏者は、客席にいる観客に対して、音楽演奏を提供する。向井山は、こうしたコンサートのあり方に対して疑問を呈し、異なる形でのコンサートを自ら創り始めた。
 コンサートにおけるこうした固定化された演奏者と観客の関係を変えたいと主張する音楽家は、向井山に限らない。しかし今一歩、成功しない場合が多いのだ。その原因は、演奏者と観客の関係を一気に変えようとする直接的な方法にあると思われる。たとえば、観客席に座っていた人が突然演奏者となって演奏を始めたり、舞台上と観客席を演奏者が行き来して演奏したり、舞台上の演奏者が観客に参加しないかと呼びかける、などの方法である。もちろんポピュラー・ミュージックのコンサートなどでは、こうした方法が成功し「舞台と観客が一体となる」場合も多い。それは、演奏者だけでなく観客もそれを強く望んでいるからであって、クラシック音楽や現代音楽のコンサートでは、観客はあくまで「演奏者に対峙する観客」という役割・位置を確保しようとし、その結果、観客は演奏者の行為を共感することなく冷ややかに見つめ、演奏者と観客の関係を変える試みは失敗に終わりがちである。
 一方、向井山は、演奏者、観客という役割を変えようとはしない。もっと別のやり方で観客に近づいてくる。たとえば、2000年に彼女自身がプロデュースしたソロ・コンサート「アムステルダム×東京」を考えてみよう。向井山朋子の名前を日本の多くの聴衆に知らしめたこの公演は、オランダ・アムステルダム在住の向井山が、日蘭交流400年にあたるこの年に、日本とオランダの若手作曲家六人に直接委嘱し、オランダ・アムステルダムと日本・東京で世界初演作品ばかりを演奏したピアノ・コンサートだったが、特筆すべきはその空間だ。

「アムステルダム×東京」(2000、スパイラルホール)
(写真撮影:デジタルPBX(ヨコミゾマコト+加藤弘行)

「会場に来たお客さんは、白いカーテンを開けて中に入ります。そこは床が白く敷き詰められ、千匹の金魚が吊るしてありました。天井から立体格子に吊られたビニールに水と金魚が一匹ずつ入っています。お客さんには金魚と金魚の間に座っていただき、その中で私は演奏しました。どうにか壁を取り払って、一人一人のお客さんと弾き手が違うコミュニケーションができないかと考えた末に、観客と演奏者との間に、もし違う生き物がいたら、それを介することによって、音楽自身や観客と演奏者の関係が少し歪むのじゃないか思ってやってみました。難しい話は別にしても、すごくきれいな空間でした。金魚は音がよく聞こえるそうですが、反応は全然しません。ハードな曲を弾いても、そ知らぬ顔で優雅に泳いでいる。すごく対照的でした。」〔『現代音楽家シリーズ3』2005、65-66頁〕

演奏者と観客の関係を支えているのは、コンサート開催中に演奏者と観客が共同でつくる空間と時間の共有感覚である。「アムステルダム×東京」では、向井山はまずその「空間」の共有感覚を問題にした。そして、建築家の加藤弘行氏とヨコミゾマコト氏によるユニット「デジタルPBX」に依頼して、演奏者と観客の関係を変えるものとして、演奏者と観客の間に金魚が泳ぐインスタレーションを設置した。
残念ながら私はこのコンサートを体験していないが、記録写真を見ると、千匹もの金魚が吊るされたその空間は圧倒的で、舞台と客席という隔たりを完全に取っ払っている。きっとこの空間で向井山は普通にピアノを弾いただけだろう。あとは観客に強要しなくとも、いつものコンサートとは違った何かを感じて帰るはずだと確信して。このように向井山は、観客にさりげなく、しかし逃れられないように、突きつけてくるのである。

 さらに向井山は、2003年から開始した「for you」というソロ・コンサートのプロジェクトで、今度は演奏者と観客の「時間」の共有感覚に揺さぶりをかけている。
  「for you」は、たった一人の観客のためのコンサートである。演奏時間は約十五分で、向井山の多数のレパートリーから二曲程度が演奏される。これらの点をのぞけば、他は全くふつうのコンサートと変わらない。つまり、彼女が“もうあまりやりたくない”と語ったスタイル―舞台と客席がはっきりと分かれた会場(ホールの場合が多い)で、演奏者は舞台袖から登場し、お辞儀をし、椅子に座って演奏し、またお辞儀をして舞台袖に消える、観客はそれを客席で鑑賞する―である。

「どうして私はピアノを弾いているのだろう、誰のために弾いているのだろうと考え始め「for you~あなたのために」という極端な形を提示することによって、何か見えてくるのではないかと考えたのが始まりです。
大勢いる観客の一人として受身でなんとなく受け止めるのではなく、あなたがいないと成立しないという状況をつくって全部受け止めてもらう。私が出すものの認識のされ方や受け取る観客自身が重要です。観客は私が弾く音楽を通して自分というものに対峙する。」〔『現代音楽家シリーズ3』2005、74頁〕

「for you」で演奏者と観客の間に生まれた時間の共有感覚は、私自身の観客としての体験から述べても非常に独特のものであった。観客も演奏者も真剣にならざるを得ず、観客であった私も非常に緊張した。そして、彼女の意図どおり、音楽の演奏を聴いたというより、その音楽に照らして聴き手が自分自身を振り返る時間なのだった。(注2)
 「for you」というコンサートでは、確かにピアニスト向井山朋子は、ピアノ曲を演奏したのだが、彼女が観客に伝えたかったのは、ピアノ曲(音楽)そのものではなく、その曲の演奏(音楽)を通じて観客との間に生まれる唯一の時間だった。「アムステルダム×東京」においては、どういった作曲家のどの曲を演奏するかというプログラムも重要な点であったが、「for you」では形態としては通常のコンサート・スタイルに則っているものの、通常コンサートを企画する際に最も重要な要素と考えられるプログラムは、それほど重要ではなかった。こうして彼女は、まずはコンサートという形のなかで、自分が表現し、伝えたい活動を試みた。

2、コンサートという形の作品を創る
 そして向井山の活動は、この1、2年でさらに明確な方向性を持ってきている。それは、コンサート自体を舞台作品のように自分の作品として創り始めたということである。
 コンサートを、会場に入ったときから公演終了後に会場を出るまでを一つと考え、舞台美術、照明、休憩時を含めトータル的に演出する音楽家は少なくないが、それでも多くの音楽家は、演奏については一曲一曲の音楽作品(それが本人の作曲による場合もあるが)を演奏すると考えているだろう。
 それに対し向井山は、たとえば、2002年に東京・オペラシティ小ホールで開催した「B→C」シリーズでのコンサートや2004年に岐阜県可児市文化センターで開催したコンサート「for family」では、数人の作曲家の作品を演奏しているものの、一曲の演奏が終了した後、椅子から立ち上がってお辞儀をすることはなく、数秒間弾くことを止めただけで、すぐさま次の曲の演奏を開始した。もちろん休憩はない(注3)。この点について、可児市文化センターの「for family」終了後、向井山は楽屋での友人との会話のなかで「なんだか途切れてしまうので嫌なの」と答えていたが、これは、開演から終演までの時間を文字通り一つに統合し、音楽的に連続した時間感覚を創り出そうとしたと考えられる。
そして2005年に愛知芸術文化センターで開催した公演「sonic tapestry II」(注4)では、もっとはっきりとコンサートが一つの作品として認識されていた。
 当初(2005年2月)、愛知芸術文化センターが向井山に委嘱したのは、「ピアノ、身体、エレクトロニクスというテーマでのソロ・コンサート」だった。これに対し、2005年2月に向井山から来たEメールでの最初のプログラム案は、「5、6曲を演奏し、映像を用いたコラボレーション作品もある」という通常のコンサートの形式だった。それが5月半ばに、向井山は、「全体を一つの『sonic tapestry II』」という作品として考える」と表明し、7月に演奏・映像・ノイズ・照明が一体となったタイムテーブルが提出された。
この公演のために、向井山は、まず映像作品『haar/haar(オランダ語で「彼女の/髪」の意)』を作成し、その映像作品を、インスタレーションとして舞台美術に用いて空間を形成するとともに、映像作品の時間の枠組みを、そのまま公演の時間の枠組みとして用いた。60分の『haar/haar』は、向井山の髪や体毛の映像と何も映っていない黒みの部分、無音の部分とノイズ音から構成されている。そして黒みや無音の部分に、照明やピアノの演奏をモザイクのように織り込んでいったのである。「sonic tapestry II」はコンサートのタイトルであったが、ここでは時間および空間構成すべてが明らかに彼女の作品であった。向井山が演奏したのはそれぞれの曲の断片であり、一曲も最初から最後まで全部は弾かなかった。この公演のなかで行われた音楽の演奏は、作曲家の作品の演奏ではなく、向井山朋子のコラージュ作品の構成要素、作品のパーツだった。

「今回のために新たに作ったコラージュ作品《sonic tapestry II(ソニックタペストリーⅡ)》は、映像、ノイズとともに、楽曲の全曲または断片が、乱立し、分断され、つながれていく実験の「場」である。
400年にわたるピアノクラシック作品の元来の音楽性、様式は剥奪され、それとは脈絡のない別のスタイルの断片とともに新しい文脈の中に押し込まれていく。断片はオリジナルから乖離した意味を与えられ、時代、様式を超越した新しい響きを与えられる。」〔向井山朋子、2005〕

「sonic tapestry II」(2005、愛知県芸術劇場小ホール)
(撮影:南部辰雄、提供:愛知県文化情報センター)

「sonic tapestry II」(2005、山口情報芸術センター)
(提供:山口情報芸術センター)

現在、向井山は、この作品について、統一して 「haar/haar」というタイトルで発表している。現在彼女は、「haar/haar」をヴィデオとノイズで構成される作品全体を囲むフレームとし、「sonic tapestry II」は「haar/haar」という作品の中の音楽部分で、彼女がそのときに弾きたい音楽の断片のストック、と明確に位置づけている。つまり、2005年8月に初演した「sonic tapestry II」、現在の「haar/haar」という作品は、コンサートという形を映像のフレームにはめ込んだ舞台作品と言えるが、この形は初演時から明確であったわけではなく、愛知での初演に始まり、同年12月に山口情報芸術センター、2006年5月のシアトル、8月のシドニー・オペラ・ハウスと上演を重ねる過程を経て、表れてきたのだった。
  「sonic tapestry II」を初演した2005年頃のことについて尋ねたとき、当時は様々な変化が一度に起こって自分ではよく分からないと前置きをした上で、彼女は次のように語っている。

「ただ一ついえるのは、作品自体を一人で制作したいと思い始めたことでしょうか。ピアニストとして今後どのように活動していくのかを考えてしまう時期。そういう時期がある。ピアニストから作曲家へ、指揮者へと転身する音楽家もいる。その時に私は、何もかもを自分が背負わなければいけないような、そんな自分の作品を創りたいと思い始めたの。」〔2007年1月に本稿のために筆者がEメールで行ったインタビューより〕

もう一つ、向井山がコンサート自体を自分の作品として捉えた事例として、「for you」に、コンサートというものの貨幣価値を反映させた事例を紹介しよう。通常のコンサートでも、すべて、観客は音楽聴取の代償として(具体的には音楽聴取のために「1席分の空間」を「演奏される時間」の間、購入している)チケット代金を支払っているが、「for you」では観客が一人であるため、明確な形でコンサートが一作品として商品化する。
その究極の形は、2005年に横浜トリエンナーレの演目として行われた「for you」であった。公演の形としてはそれまでの「for you」と全く同じだが、異なったのは作品購入の仕方である。それは、2005年10月26日に横浜みなとみらいホール大ホール(客席数2,020席)で開催される、たった一回の「for you」コンサートを、インターネット・オークションにより落札させるというものであった。オークションは同年9月27日10時に開始され、10月19日20時に百万円で落札された。男性が妻のために落札したのだという。その一人の女性観客のための「for you」のために、向井山は3日前にアムステルダムから来日し、15分の公演を行った後、またアムステルダムへと帰国した。このオークションを含め、実演までの一連のプロセスが、国際的な美術展覧会、横浜トリエンナーレ2005における向井山朋子の作品「for you」となった。

「最初はとても抵抗がありました。でも、ある日ふっとふっきれて、OKしました。オークションによってコンサートを聞く権利を買う、という如実なお金のシステムに自ら飲み込まれてみることによって、人々にどんな反応が生まれるかに興味があったんです。そしてこのチケットを買った人や、それ以外の人々もまた、今度何かのコンサートを買う時にチケットの交換として取り引きしたお金の価値について、「これは何の対価なんだ?」と考えざるを得ない機会になると思います。」〔横浜シティアートネットワークのホームページ上に掲載された向井山朋子インタビューより、2005〕
 
さらに、これがただの話題提供のために行ったイベントではなく、真にコンサートの貨幣価値について考えてほしいというメッセージを強調するかのように、同年12月に山口情報芸術センターで行った「sonic tapestry II」では、入場料は観客自身の判断にゆだねるとし、金額は提示されなかった。

3、今を生きる女性アーティストとしての私の身体
「女性の身体は父権制的文化のなかでさまざまな意味に満たされており、これらの含意(コノテーション)を完全にふるい落とすことはできないのである。女性の身体を、フェミニズム的意味のためにニュートラルな記号として取り戻すことなど不可能なのだ。しかし、記号や価値は変形されうるし、異なったアイデンティティを設立することもできるのである。〔リンダ・ニード(藤井麻利・藤井雅実訳)、1997、161頁〕

 向井山朋子の活動でもう一つ忘れてはならない要素は、演奏を行う彼女の身体である。2005年の「sonic tapestry II」について、

「自分のからだにある髪・毛を視覚のメディアに収めていくプロセスは普段、音楽家/ピアニストとして舞台に立つ表現者としての身体性、そして身体自体に向き合う新鮮な体験になった。
指揮者のヴァレリー・ゲルギエフやヴィオラのユーリ・ヴァシュメットら巨匠の例を挙げるまでもなく、音楽家の身体性がパフォーマンスの重要な要素であることは疑いもない。ここでいう身体性とは舞台上のパフォーマーの肉体の存在感のことを指しているに違いないのだが、はたして演奏に立ち会う観客は、タキシードの下の彼らの生身の身体性をどこまで共有でき得るものなのだろう。
ピアニスト/haar(彼女の)の haar/(髪・毛)は、ハイヴィジョンのテクノロジーでハイパー・リアリスティックに収録されている。露出した体の各部分は切りとられ、身体のパーツ自体のリズムが聴覚(ピアノ)の要素と絡められ音楽空間としてのタペストリーを編み出していく。そこで身体のディティールというより砂漠の風景のようにうねりを見せる私の髪は、もう私のものではない。
今回のインスタレーションパフォーマンスは、表現者の身体がここにおいてどこまでがあなたのもの になりえるかという境界を見極める試みの空間でもある。」〔向井山朋子、2005〕

と解説する向井山だが、彼女が表現者として自身の身体を見つめるまなざしからは、純粋にメディア(媒体)としての興味だけでなく、「女性である」身体を重要視していると感じられる。その身体とは、豊かな髪、他人を惹きつける魅力的な眼、長い手足、背中・・・。これらの特徴を、彼女は熟知し、素直に受け入れ、自分の創作活動の手段として積極的に使っている。
 そこには、彼女の夫となった写真家フィリップ・メカニクス(Philip Mechanicus)の存在が大きく関係しているのかもしれない。彼が撮影した写真には、彼女の女性としての身体が繰り返し見られる。たとえば彼女のCD「Tomoko Mukaiyama / women conposers」のジャケットでは、背後を振り向く形ではあるが濡れそぼったヌードであり、同じくCD「Tomoko Mukaiyama / Hallo, Pop Tart」のジャケットでは、ボンテージ風衣裳の向井山が幼い娘と並んで写っている。このほかにも、広報用写真として用いているポートレートや演奏写真には、顔の半分かそれ以上が髪で覆われ、強烈なまなざしで見つめている写真が多い。

CD「Tomoko Mukaiyama / women conposers」ジャケット

 そして「sonic tapestry II」で彼女が着目したのは、まさに「彼女の(haar)/髪(haar)」であり、映像でも、ピアノを弾く彼女自身の身体としても、はっきりと、自らの「女性としての身体」を見せつけていた。
 この作品が生まれる数ヶ月前、彼女が最近最も感動した芸術作品として、振付家のアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルのソロ・ダンス作品「Once」(2002)(注5)や、美術家のマリーナ・アブラモヴィッチの「恋人たち-万里の長城を歩く」(1986)(注6)を挙げ、いずれも「女性の、その時点の彼女でしかありえない表現であることに感動した」〔2004年11月12日に行ったインタビューより〕と語っていたことに注目したい。
 自らの身体でもって、今このときを生きる、自らの表現を行いたい。そのように考える表現者が女性であり、それを受け入れている自分がいるなら、その性は決定的である。そこで表現される女性という性が指す記号や価値は、ネガディヴではなくポジティヴなものとなる。それを彼女は、
「(髪の)なににもまして絶えずかたちを変えていく、うねうねとしたエネルギーが好きなのです。」〔2007年1月に本稿のために筆者がEメールで行ったインタビューより〕
とさらりと言ってのけるのだ。ここには、1970年代にフェミニストの女性アーティストたち(注7)が自らの存在と身体を賭けて過激に取り組んだ、タブーへの挑戦や表現の過激さはない。向井山の表現は、自らのヌードを写した広報用写真やCDジャケットにしても、また『haar/haar』の映像にしても、静かで自立して美しい。
自分自身の作品を創るということだけでなく、女性であることを強く肯定する作品を創るという点でも、大きく自覚したのが、2005年の「sonic tapestry II」であったと私は考える。
 
4、向井山朋子が立つ位置
 こうして2005年以降は現代美術の展覧会でも作品を発表する向井山だが、その背景には、現代の音楽の多様化とともに、現代美術が作品の非常な多様さを許容しているという状況がある。これについて、長谷川祐子は、20世紀から21世紀にかけて、美術館は、モノを見せるための「展示空間」からインスタレーションやパフォーマンスをみせる「環境的空間」へ、そしてさらに非物質的な空間へと変貌しつつあり、特に1990年代後半から、コミュニケーションをキーワードとして、観客参加やリモデル化された日常体験の追体験という形式を取り、エンターテイメント化された多様な作品を生み出す現代美術の作家たちが多数現れたと述べている。〔長谷川裕子、2003、38-41頁〕こうした現代美術の状況と、向井山が現在立ちつつある地点は見事に交差する。向井山はピアニストとして演奏者(作品の創り手)と観客(鑑賞者)とのコミュニケーションのあり方や、現代社会を生きる生や性について表現しようとした結果、美術作家たちとは逆の方向~エンターテイメントの側から現代美術の領域へと踏み込んだと言えるだろう。
 そしてこれまで本稿でまとめてきた向井山の活動の変遷は、一つの手法に縛られることなく、自分の表現したい内容に合わせて表現手段を変えていく現代美術作家たち、とりわけ女性の現代美術作家の経歴に共通する点がある。
 たとえば、やなぎみわは、工芸科専攻の美大学生時代に繰り返し伝統的な作品製作の手法の訓練を受け、社会人経験を通じて社会に対して自分自身が感じる問題点を発見し、その結果最も有効な手法として写真という形態を選択した。そして、現代に生きる女性であるということを作品制作の原点として、デパートのエレベーターガールの制服を着せた女性たちを様々な空間に配置した写真シリーズ「エレベーターガール」や、20代の女性たちが五十年後の自分を想像して未来の老女たちを写真に撮る「マイグランドマザーズ」、現在70~80歳の老女たちに自らの祖母について語ってもらう映像作品「マイグランドドーターズ」などを発表している。〔岡部あおみ、2003、266-278頁〕
 向井山も、学生時代から続く、ピアノを演奏するという長い繰り返された訓練を経て、社会と自分との間に横たわる問題点を捉え始めたとき、現代に生きる女性であるということを原点とする問題に取り組もうとしているのではないだろうか。「社会状況から遊離したニュートラルな『芸術家』」〔鈴木杜幾子ほか編著、1997、378頁〕がいるわけではない。音楽家とて例外ではないはずなのに、私たちは、ピアニストというものは、(本人を含めて)作曲家が作った作品や即興での演奏を行い、現代社会の喧騒や煩雑さからは切り離された時空間を創り出すという先入観をもちがちなため、彼女が「変わった」ピアニストと思ってしまうに過ぎない。もちろん音楽家はそうした、楽しい、あるいはエネルギッシュな、あるいは癒される時空間を創出するが、そればかりではないのだ。向井山は、ピアノの演奏を通じて自分の作品を創る可能性を開いたと言えよう。
 いずれにせよ彼女の活動の中心にはピアノがあり、それを弾く彼女の身体がある。2007年取り組んでいる新しい作品「show me your second face」は、香りと映像のプロジェクトで、ピアノとピアニストと衣裳のコラボレーションだというが、この作品について尋ねたとき、彼女の次のように答えた。

「ピアノは私にとって外に向かって投げかける、うちに向かって語りかける力強く、同時にしなやかな武器のようなものです。」〔2007年1月に本稿のために筆者がEメールで行ったインタビューより〕

 向井山朋子は、さらに2009年を目指して、12,000枚のドレスと世界中の女性と月経血を使うインスタレーション・プロジェクト「wasted」(注8)に取り組み始めたという。「女性アーティストとして今しかできないことだと思ってはじめた」というこの作品は、紛れも無く、観客一人一人に語りかける美しい作品となることだろう。こうして向井山朋子は現代の芸術の新しい地平の一つを切り開いていくはずだ。音楽、美術というジャンルにとらわれることなく、今を生きる女性アーティストとして。


(1)http://www.tomoko.nl/index.html
(2)詳細は、『現代音楽家シリーズ3」72-78頁参照
(3)可児市文化センターの「for family」では、前半に向井山と交流のあった市民との共演があり、休憩を挟んだ後半が向井山のコンサートだった。ここでは後半部分を指している。
(4)その後向井山は「sonic tapestry II」は「haar/haar」という作品の中の音楽部分と位置づけ、現在は「haar/haar」というタイトルで統一している。本稿ではこの作品タイトルの変化についても言及するが、向井山の活動の遍歴を追うため、2005年に開催された公演タイトルとしては「sonic tapestry II」を用いる。なお、「haar」とはオランダ語で「髪」、そして同時に「彼女の」という意味。
(5)アンヌのソロ・ダンス作品。無音から始まり、アンヌが子どもの頃魅了されたというフォークの女王でベトナム反戦運動で知られるジョーン・バエズの1963年のライブでの「Once I Had a Sweatheart」の歌声に共振して踊る。最後は戦争の映像が映し出される。
(6)当時のパートナー、ウライとのパフォーマンスで、万里の長城の両端にウライとアブラモヴィッチが分かれ、そこから40日間かけて歩き、長城の真中で出会い、そのまま永遠に別れるというもの。私生活上の別れをそのまま作品として形にした。
(7)たとえば、キャロリー・シュニーマンのパフォーマンス「体内からの巻物」(一九七五)。
(8)向井山朋子は2009年の「wasted」発表に向けて、作品創作の協力してくれる世界中の女性を現在募集している。あなたの体の一部が作品の一部として取り入れられる。詳細はhttp://www.wasted.nlをご覧ください。

参考・引用文献
水野みか子、2007、「1990年代の日本のサウンドアート」、『リア』No.16、リア制作室
渡辺裕、1990、『聴取の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化』、春秋社
藤井明子編、2005、『現代音楽家シリーズ3』 愛知芸術文化センター企画事業実行委員会
向井山朋子、2005、「sonic tapestry II」上演当日に配布したパンフレット 
横浜シティアートネットワークのホームページ上に掲載された向井山朋子インタビュー http://www.ycan.jp/archives/2005/11/can_you_hear_me.html
リンダ・ニード(藤井麻利・藤井雅実訳)、1997、『ヌードの反美学 美術・猥褺・セクシュアリティ』、青弓社
長谷川裕子、2003、「アヴァンギャルドと美術館:混在のヘテロトピアスに向けて」、『アール issue 02/2003』、金沢二十一世紀美術館
岡部あおみ、2003、『アートと女性と映像―グローカル・ウーマン』、彩樹社
鈴木杜幾子ほか編著、1997、『美術とジェンダー非対称の視線』、ブリュッケ
スーザン・マクレアリ(女性と音楽研究フォーラム訳)、一九九七、『フェミニン・エンディングー女性・ジェンダー・セクシュアリティ』、新水社
小林康夫・松浦寿輝編、2000、『表象のディスクール⑥創造 現場から/現場へ』、東京大学出版会

出典:『日本文化の人類学/異文化の民俗学』(法蔵館、2008年)